埋文データ

4.調査の履歴

 昭和44年10月の発見以降8回の調査が行われ、縄文時代後・晩期(じょうもんじだいこうばんき)(今からおよそ4,300〜3,000年前)の遺構・遺物が多数発見されている。過去の調査履歴は下記に簡単にまとめたが、調査年次の古いものは内容に不詳の部分があり、今後の再整理で改められてゆく部分があると思われる。

調

期間
調査団長
・団体
検出遺構等
文献

昭和44(1969)年10月26・28日 慶応義塾大学
・近森正 講師
西側の盛土部分の調査。ヤマトシジミの貝ブロック5ヶ所、炉跡7基 近森正1969 「長割遺跡調査略報」『文化財時報』 佐倉市教育委員会
昭和45(1970)年7月16日〜31日 慶応義塾大学・清水潤三 教授 西側の盛土部分の調査。晩期中葉の住居跡1軒検出。 清水潤三・近森正・鈴木公雄 1971 「佐倉市志津長割遺跡調査概報」『佐倉地方文化財』佐倉市文化財保護協会
昭和48(1973)年3月20日〜23日4月6日〜26日 慶応義塾大学・清水潤三 教授 南側盛土(マウンド5)の調査。盛土下から後期中葉の住居跡2軒、後期前葉の住居跡1軒。また、盛土南裾から後期中葉の土器塚検出。異形台付土器出土。 清水潤三・鈴木公雄 1974 『井野長割遺跡概報』佐倉市教育委員会




昭和50(1975)年 東京大学・鈴木尚 名誉教授 南側盛土の調査。1973年の調査の追加分。詳細不明。 内田儀久 1977 「井野長割遺跡出土の異形台付土器」『考古学雑誌』63巻3号 日本考古学会
平成10(1998)年1月6日〜30日 (財)印旛郡市文化財センター 遺跡南側の調査。縄文時代の遺構は発見されなかった。 (財)印旛郡市文化財センター 1999 『年報14』
平成13(2001)年2月20日〜4月12日  6月1日〜21日 (財)印旛郡市文化財センター 盛土の残る遺跡東側〜谷部分と南側の調査。住居跡1軒、ヤマトシジミの貝塚1ヶ所。土坑10基。ピット等。谷の埋め立て判明。 (財)印旛郡市文化財センター 2001『年報17』  (財)印旛郡市文化財センター 2002 『年報18』  (財)印旛郡市文化財センター 2001  『フィールドブック』vol.9 小倉和重 2001 「佐倉市井野長割遺跡」『第5回遺跡発表会発表要旨』(財)印旛郡市文化財センター
平成14(2002)年3月1日〜29日 (財)印旛郡市文化財センター 遺跡北側の盛土の調査。住居跡1軒。ヤマトシジミの貝塚1ヶ所。縄文後期土坑10基。ピット多数。盛土部分の解明。 (財)印旛郡市文化財センター 2002『年報18』  小倉和重 2002 「井野長割遺跡(第5次)」『第6回遺跡発表会発表要旨』(財)印旛郡市文化財センター
平成14(2002)年11月28日 佐倉市教育委員会 西側推定盛土部分〜その外側の調査。住居跡2軒。遺構の分布から西側盛土の限界が判明。 ↓ 
平成15(2003)年3月3日〜20日 (財)印旛郡市文化財センター 中央窪地部分西側の調査。住居跡3軒。土坑9基。ピット37基。炉跡3基。中央窪地が関東ローム層を削って形成されたことが判明。 田中大介 2003 「佐倉市井野長割遺跡(第7次)」『第7回遺跡発表会発表要旨』(財)印旛郡市文化財センター
平成15(2003)年8月1日〜28日 (財)印旛郡市文化財センター 学校建設により消滅してしまった西側盛土部分の調査。道路状の空白をはさんで住居群と土坑群が検出された。 ↓ 

井野長割遺跡調査史

 

【井野長割遺跡全体図】