埋文データ

第5次調査
(平成14(2002)年3月1日〜29日)

 第5次調査は、小学校敷地内の東隅にある「井野っ子山」と呼ばれる自然観察園内を対象とした。現地形は南側から徐々に高くなり、調査区中央が最も高い。地表面での高低差は約1メートルあり、北側に向かって低くなる。東西両側は小学校および宅地造成によって削平されているが、「井野っ子山」は旧地形を保っている可能性が高く、環状盛土の一部である可能性が高いと予想されたため、これを確認する目的で調査を行った。
 調査は幅2メートルのトレンチを南北方向に8本、東西方向に1本設定して合計111平方メートルを調査した。地表面から20センチメートルほど掘り下げるとすぐに土器片が多数出土し、盛土がほとんど破壊されずに残っていることが判明した。土器は後期から晩期のものがほとんどで、中期のものもごく少量含まれる。他に磨石(すりいし)や石皿、土偶や石剣、耳飾りなども出土した。遺物量は盛土の厚さに比例して調査区の中央寄りが最も多く、南にいくほど少ない。北側でも非常に少なく、住居跡や土坑などがまったくないことから、盛土の範囲をある程度推定することができた。
 調査区東側の一番高い部分では、地表下35センチメートルで貝塚が見つかった。貝層の厚さは25センチメートルから40センチメートルほどで、いくつかの廃棄単位(ブロック)が認められた。ブロック中には厚さ10センチメートル前後の灰が堆積するものもある。貝のほとんどは汽水域(きすいいき)に生息するヤマトシジミで、海に生息するオキアサリやハマグリ、ムラサキガイ、マテガイなどが少量含まれている。また、イノシシやシカ等の動物骨、ボラやクロダイ、エイなどの魚骨、ウロコ、それに、ウロコを取り除くために使われた貝刃(かいじん)も見つかった。
 盛土の下から見つかった遺構は、B・C・Hトレンチ付近を中心に住居の柱穴とみられる穴が集中していたほか、EトレンチからFトレンチにかけて晩期の住居跡が1軒確認された。住居はローム層とみられる茶色味を帯びた厚さ10センチメートルから20センチメートルの土層で覆われていた。炉に新旧関係があることなどから、一度建て替えられたらしい。炉の内部には灰が多量に堆積していて、魚の小骨が見つかった。
第5次調査では、「井野っ子山」が環状盛土の一角を構成し、かつ非常に良く残されていること、盛土下には多数の縄文時代の建物跡が存在することが確認された。

第6回遺跡発表会要旨PDF

 

 

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