埋文データ

第1次調査
(昭和45(1970)年7月16日〜31日)

 昭和44年10月、井野小学校建設工事中に大量の縄文土器片が発見され、遺跡の存在が確認された。慶応大学、佐倉市史編纂委員会によって緊急調査が行われ、縄文時代後・晩期の集落跡で、一部に小貝塚(しょうかいづか)を伴うことが判明した。その結果を受け、昭和45年7月に小学校敷地内で慶応大学によって発掘調査が実施された。これが第1次調査である。
 第1次調査は集落構成と「マウンド状構築物」(盛土)の性格を明らかにすることを目的に行われた。調査概報によれば、直径10〜20メートル、高さ1〜2メートルのひらたいマウンド状構築物が3基存在したとされる。その内の、すでに半分削平された1基、366平方メートルを発掘したとされている。ただし、調査区の詳細な位置等は不明のままである。成果としては、盛土が縄文時代のある期間に継続的に作られたことが明らかになり、下部には竪穴住居跡が存在することも判明した。