埋文データ

第7次調査
(平成15(2003)年3月3日〜20日)

 調査区は井野小学校の花壇周辺で、中央窪地範囲に該当する。調査は学校内の遺構の残存状況と分布の確認を目的として実施された。表土下20センチメートルまでは学校建設時に破壊されていたが、以下には晩期の遺物を多く含む土層と後・晩期の遺構が良好に残っており、盛土と窪地について2つの重要な成果が得られた。
 西側トレンチからは、後・晩期の住居跡や土坑などの遺構が多数確認された。過去の調査成果でも、盛土部分で遺構発見例が多いのに対し中央窪地にはほとんど遺構がない。すなわち、西側トレンチ付近が消滅してしまった西側盛土の内側裾部に当たると考えられる。失われた盛土の範囲を推定する重要な根拠となる。
 また、柱の痕跡が明瞭に残る深さ180センチメートルほどの土坑が間隔を置いて2基見つかり、大型建造物が存在していた可能性がでてきた。土坑上部からは、石剣・磨製石斧(ませいせきふ)・焼けた粘土の塊(かたまり)がまとまって出土した。いずれも火を受けており、火を使った祭祀行為の痕跡かもしれない。
 中央窪地に相当する東側のトレンチでは、表土下からローム層にかけて黒色土が良好に堆積しており、晩期前葉を中心とする土器が多量に出土したが、遺構はほとんど確認されなかった。ただし、一部に地山であるローム層が緩やかな高まりを見せる部分が認められた。環状内側のマウンド2・3と対象的な位置にあり、今後、その意味を考えねばならない。
 また、ローム層をさらに1メートルほど掘り下げて土層の堆積を観察したところ、最上層が6層以下の層にあたることが確認された。つまり、中央窪地のローム層は本来あるはずの3層、4層が失われ、通常より50〜60センチメートル低くなっていることが確認された。盛土部分の調査成果と考え合わせると、縄文人が中央窪地のローム層(3・4層)を意図的に削ってそれを盛土として利用した可能性がさらに高まったといえる。

 

第7回遺跡発表会要旨PDF

 

 

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