埋文データ
本佐倉城跡(東光寺ビョウ)現地見学会説明資料
2005年3月5日

   確認調査期間:平成15年12月10日〜平成16年3月9日
   調査対象面積:20,982.65m2
 本佐倉城VI郭(かく)・東光寺ビョウは内郭群(ないかくぐん)(I〜VII郭)の北側に位置し、ここより北には印旛沼南岸  へとつながる低地帯が広がっています。VI郭はI〜IV郭の主郭(しゅかく)部(標高約29m)から曲輪(くるわ)群(標高約18m)、中段平場(標高約11〜14m)、下段平場(標高約8m)へと至る4段のひな壇状に造成されており、そしてこのひな壇の東西及び南側奥の3カ所に城への入り口である虎口(こぐち)が存在しています。
 本年度は保存整備に伴う調査開始初年度の確認調査でもあることから、(1)調査区内の造成状況(土の切り盛り、過程)の把握(2)造成面の枚数(造成の回数)及びその年代の把握(3)遺構の確認を大きな目的とし、進められました。

帯曲輪−−
(おびくるわ)
上部の平場に盛土が行われていますが、大半が地山の削り出しにより造られています。
(見学地点3参照)
曲輪1−− 上部の平場に確認トレンチは入れていませんが、裾部で見られた土層断面から盛土により構築された可能性が高いと考えられます。
曲輪2−− 一部地山の削り出しが行われている部分も見られましたが、ほとんどが盛土により構築され、平場が作り出されています。また曲輪2は後世の開墾により裾部が削られており、本来はもう少し北側に張り出していたものと思われます。
中段平場− VI郭の中で最も広い平場で、VI郭の機能を推定する上で最も重要な部分と思われます。そしてこの中段平場ですが、ほとんどが盛土造成(最厚3mをこえる)により構築されており、現在のところ3回の大きな造成が確認されています(部分的な造成はさらに数次におよんでいます)。これらは出土している遺物などから以下の年代に行われたものと考えられます。
第1期:築城時・15世紀中頃
第2期:15世紀後半〜末頃
第3期:不明確ではあるが16世紀前半以降と考えられる
 (各期の年代観については現段階のもので、今後整理作業を通し変更される可能性があります)
また、南側奥の虎口へとのびる道路状遺構(見学地点2)や溝状遺構(見学地点5)、竪堀(たてぼり)(見学地点4)、土坑群(見学地点2・3)も検出されており、VI郭の機能推定の手掛かりにもなっています。

下段平場− 東側(見学地点6)及び西側(見学地点1)において部分的な盛土が行われていますが、調査の結果、当時においてはほとんどが湿地帯として残されていたものと考えられます。
<出土遺物> 検出遺構内を中心に、造成土内からも多数の遺物が検出されています。

貿易陶磁器:青磁(せいじ)、白磁(はくじ)
国内産陶磁器:瀬戸(せと)・美濃(みの)産(天目茶碗(てんもくぢゃわん)、皿、摺鉢(すりばち)等)、常滑(とこなめ)産(甕(かめ)、片口鉢(かたくちばち))
在地産土器:カワラケ、内耳鍋(ないじなべ)、摺鉢、火鉢等
その他:渡来銭(とらいせん)、青銅製品、砥石

調査区東側遠景

 

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