(平成13(2001)年2月20日~3月27日、4月5~12日、6月1~21日)


一方、中央窪地は黒色土が堆積し、出土土器は少なく、晩期のものがほとんどである。住居跡などの遺構は盛土下や盛土外側にはあるが中央窪地には見つからないことから、中央窪地は広場のような空間で、その周囲にムラが営まれていた様子がうかがえた。そして東側の斜面を埋め立て、平らな面を広げながら環状に盛土を造り、さらにその外側に土器を捨てていたと考えられる。
遺跡の南側からは「縄文の道」と考えられる溝が検出され、その脇に土坑が列をなし、埋甕も見つかった。東側の谷の斜面からは大きさが2~3センチメートルのシジミばかりが含まれる小規模な貝塚が確認された。
遺物は中期末から晩期中葉までの総重量1トンを超える土器が出土した。しかし、ほとんどの土器は小破片であり、復元できる土器は多くない。この他、異形台付土器や吊り手土器の破片がある。土偶やミニチュア土器、耳栓(土製ピアス)の他、土板・石剣・石棒など祭祀に関連する道具も見つかっている。
第4次調査では、盛土の環状構造と谷の埋め立て工事など、おおよその遺跡の外郭は見えてきたものの、なお盛土・窪地の詳細はこの後の調査に委ねられた。
