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大菅向台
おおすげむかいだい
遺跡第2地点現地説明会資料
平成22年10月30日
主催 成田市教育委員会
印旛郡市文化財センター
大菅向台遺跡第2地点は、尾羽根川によって開析された標高 35mの台地上に所在します。遺跡の周辺には、小御門神社境内にある 藤原
師賢
もろかた
(1301~1332 年)の墓とされる大納言塚や、本遺跡と同一台地上に存在し 1335年(建武2年)の板碑が存在する
檀林寺
だんりんじ
、大須賀氏一族の居城である
助崎
すけさき
城跡、 838年創建とされる
龍正院
りゅうしょういん
などがあります。 調査の結果、現在のところ主に奈良・平安時代から中世及び近世にかけての遺跡であることがわかりました。その内訳は、奈良・平安時代竪穴住居跡23軒、 中世火葬土坑15基・地下式坑8基、近世地下式坑12基、その他に台地整形区画4ヶ所、掘立柱建物跡、溝状遺構、土坑等、多数の遺構が確認されています。 また、出土遺物は、奈良・平安時代土師 器・須恵器、中近世土師質土器・陶磁器・茶臼・銭貨・獣骨等があります。
主な遺構を時代別で取り上げると、まず奈良・平安時代の竪穴住居跡があげられます。台地整形時の削平によりそのほとんどが消滅し遺存状態が良くないのですが、 もとは大規模な集落跡だったと考えられます。4 号竪穴住居跡は、幅 2m50cm・深さ51cmと小型の住居跡で、カマドの右脇より須恵器杯や土師器杯・鉢等が出土しました。 この住居跡は、斜面地にあり一部消滅しているものの、比較的良好な状態で確認しています。
次に中世の遺構ですが、4ヶ所の墓域と調査区東側の台地整形区画及び調査区中央より集中して地下式坑等を確認しました。 95号土坑は長さ2m50cm・幅1m20cm・深さ62cmの火葬土坑です。その構造は、燃焼部と通気孔があり、燃焼部よりムシロ状の炭化材、骨粉及び北宋銭が出土しています。 調査区内のどの墓域からも、火葬土坑と方形の土坑を確認しています。112号土坑は長さ78cm・幅55cm・深さ53cmと小規模ですが、安山岩製の茶臼が上半分ほぼ完形で出土しました。 取っ手を挿し込む穴が側面に対面で2ヶ所あり、中心部に下臼と軸棒を通すための穴があります。 土坑等から出土する中世の遺物は破片が主体ですが、このように上半分ではありますが完形に近い茶臼が出土することは、何かしらの意図があって埋めたと考えられます。 調査区東側の台地整形区画は、最大の長さが 約50m・幅25mの規模で、北側と南側に土堤(どてい)を配しています。 台地整形区画内からは掘立柱建物跡、谷津への降り口?、溝状遺構、土坑等が確認されました。32号溝状遺構からは馬の頭蓋骨と思われるもの、 128号土坑からは瀬戸産平碗(15世紀前半)などが出土しています。また、この台地整形区画の南東側斜面地からは、常滑産甕や、内耳土鍋等も出土しています。 本遺跡からは、中世と近世の地下式坑を確認しましたが、その特徴は中世のものは竪坑と主室が一体となった作りになっているのに対し、近世のものは竪坑と主室が基本的に独立し、 トンネルで接続しています。21号地下式坑(中世)の竪坑は、長さ1m10cm・幅68cm・深さ1m57cm、主室は長さ3m・幅1m85cm・ 深さ2m45cmの規模になっています。 2号地下式坑(近世)の竪坑は、長さ6m33cm・幅2m40cm・ 深さ1m13cm、主室は長さ2m85cm・幅2m40cm・深さ1m8cmで、お互いがトンネルにより接続し た構造となっています。 中世の地下式坑は調査区中央部に集中するのに対し、近世の地下式坑は調査区西側の台地整形区画内に存在し、掘り込みは浅くほぼ関東ローム層内で底面を形成し、 扇状に主軸方向がほぼ統一されている特徴があります。
大菅
おおすげ
向台
むかいだい
遺跡第2地点 位置図
大菅
おおすげ
向台
むかいだい
遺跡第2地点 遺構配置図