岩屋古墳第2次 現地説明会資料

平成24年6月23日(土)
栄町教育委員会
公益財団法人 印旛郡市文化財センター

 千葉県印旛郡栄町から成田市にかけて広がる龍角寺古墳群は、主に6世紀から7世紀にかけて造られたとされる古墳114基で構成されています。そのなかでも岩屋古墳(龍角寺105号墳)は、墳丘部分の規模は見かけで1辺約80m(6月19日に行われたGPS観測によると墳丘部分で東西75.766m、南北77.131m、外側周溝を含めた規模で東西108.108m、南北96.604m)、高さが13.2mの方墳で、古墳時代終末期のものとしては全国有数の規模を誇ります。南側には貝化石を多く含む凝灰質砂岩と筑波山系片岩を用いた切石積の横穴式石室が2室(奥行:東側6.5m、西側4.5m)あります。 この度、史跡整備にあたり平成23年より発掘調査を実施しています。今回は、東石室前庭部の調査を行った昨年に引き続き、「2重周溝であるのか」と、「古墳の東、西、北側に見られる土手状の高まり(周堤)の構造はどのようなものか」等を知ることを目的に、東、西、北の3ヵ所に幅2m、長さが最大で30mのトレンチと呼ぶ細長い調査区を設定し、5月より調査を行っています。 調査の結果としては、まず墳丘の周りを廻る2本の周溝が見つかりました。規模は、内側周溝で上場の幅約5m、深さは地表面から約1.5mで、垂直に近い急な立ち上がりをしています。外側周溝は上場の幅約4.7m、深さ1.2mになります。また、内側、外側ともに、周溝底面の立ち上がり付近に幅が最大で20cm程の溝が見つかっています。特に1トレンチの内側周溝では、その溝から黒褐色土が垂直に立ち上がるのが土層観察で確認でき、板状のもので土留めをしていた可能性が考えられます。 2本の周溝の間にあった周堤は、見かけの高さで約1.5mありますが、盛土が行われていたのは最大80cm程で、残りは地山であるローム層を削りだして、成形されていることが確認できました。このことから三段築成といわれている古墳墳丘の一番下の段は、周堤部分と同じく地山を削りだして成形し、盛土は上2段に行われていたと考えられます。 その他に、周堤から幅1m程の溝状遺構が見つかり、周堤部分を全周していることがわかりました。溝状遺構の底面は踏みしめられて硬くなっており、通路に使われたと考えられます。
 また、東側に設定した3トレンチでは、周溝の外側から片岩の破片が大量に見つかっています。片岩は砂岩とともに石室に使われており、関係が注目されます。 今回の調査では、2重周溝であることや、周堤及び墳丘が地山を削り出して成形していることが分かりました。その一方で、周溝中で見つかった土留めの可能性の痕跡と3トレンチで見つかった大量の片岩という新たな謎が生まれることにもなりました。


岩屋古墳図


現地説明会の様子
現地説明会の様子

発掘・調査風景
発掘・調査風景